霊園・仏事の知っ得コラム

長江曜子連載

―東日本大震災の土葬のゆくえ―本当の追悼とは?

2011年10月17日
 9月は、秋彼岸の月です。昼夜の割合が同じになり、死者と生者が交流出来る日。秋分の日は、国民の祝日であり、先祖に感謝しお墓詣りする日でもあります。
 全国各地で、3月11日の東日本大震災でなくなられた方への追悼・慰霊が行われ、TVで報道されました。身元不明者の慰霊に関しても、実に意味深い行事が行われました。東京近郊でも、浅草の浅草寺、成田山新勝寺、等々。心から、手を合わせる多くの国民が、TVを通して放映され、またそれを見て自宅で手を合わせた方々も多いことでしょう。尊い行為であり、自然な気持ちのあらわれです。
 さて、宮城県東松島市と亘理町では、津波の犠牲者を一時的に旧クリーンセンター跡地に臨時墓地を設置し、約650体仮埋葬―本当は臨時埋葬と言う―されたことが、新聞やTVで報道されました。戦後の段階で、火葬と土葬が半々だった日本は、現在99.5%以上の火葬大国です。その中での「土葬」は、驚きだったと思います。
 一列に土が掘られた中に、棺が土中に埋められて行きます。棺の上に花束がそえられているものもあり、土をかぶせた上には、番号のプレートが立てられていました。自衛隊員の活躍が、映し出されていました。宮城県内では何んと2000体が土葬されました。
 実は、3月で自衛隊は任務を終り、その後の臨時埋葬は、民間の葬儀社A社が行っていました。海中から上げられた遺体もあり、困難を極めたものだったそうです。その上、8月の初盆までに、ぜひとも火葬してあげたいとの遺族の要望で、棺を掘りおこし、遺体を火葬場に運び、火葬することになり、A社の社員チームは、誠実にその筆舌に尽くしがたい作業を行ったそうです。初盆までには、あと1~2割で完了しませんでしたが、9月には終了となりました。
 土葬大国アメリカのように、80%土葬でも防腐剤と血液を入れかえるエンバーミングをした遺体ではなく、イタリアのように10年たってから掘り起こし、小さな棺に入れかえるか、火葬するかの、二者択一です。キリスト教で復活のために遺体を土葬や、モーソリウム(霊廟形式―壁や床に埋葬)に入れる形式とは違う日本での、作業だったそうです。そのスライドを、9月22日の日本葬送文化学会の総会で拝見することが出来ました。
 人は、ものではない。尊厳ある死として、遺体を土葬、火葬し、追悼・慰霊し、墓を作ることが、実は動物と人間を分ける「葬送文化」の原点であることに、再び気づかされました。それを支えてくれたのも、機械でなく、また人です。合掌。

profile
長江 曜子(日本初のお墓プランナー)

死にまつわるデス・ケアサービスの葬送アドバイザー
聖徳大学教授博士(学術)
世界45カ国を旅し、お墓の比較研究をし、アメリカのお墓大学を卒業。墓石・霊園行政研究、文化人類学的視点で比較研究すると共に、個人のお墓から霊園設計・納骨堂設計等ライフプランニングのアドバザー(コーディネーター)を務める。
 また、大学においては、生涯教育(SOA)人気シリーズ「食の松戸物語」のコーディネーターを務めるとともに、寮の食事改善策を地域食材導入の試みをしている。

長江 曜子